集会案内

日曜礼拝

1間の始まりを感謝し、お祈りと賛美歌を歌い、神様に礼拝します。毎週日曜に2回行なっています。

第1礼拝 日曜日SUN 10:30~11:30

第2礼拝 日曜日SUN 17:00~18:00

子どもチャペル

子どもたちのための礼拝です。遊びとお祈りと聖書のお話をしています。

土曜日SAT 14:00~16:00

日曜日SUN 9:00~10:00

聖書の学び会

神様の言葉である聖書を学び、お祈りをします。

水曜日WED 10:00~11:00

お悩み相談室

人生の様々な悩みを一人で抱え込まないで、どうぞお聞かせください。

随時(無料) Any time

年間スケジュール

  • 1

    January

    ・カフェタイム礼拝
    ・新年礼拝

  • 2

    February

    ・ユースライブ集会

  • 3

    March

    ・豊川・豊橋合同墓前礼拝
    ・子どもキャンプ(三ケ日)
    ・イースター感謝礼拝・祝会

  • 4

    April

  • 5

    May

    ・母の日感謝礼拝

  • 6

    June

    ・父の日感謝礼拝

  • 7

    July

    ・カフェタイム礼拝

  • 8

    August

    ・ユースキャンプ

  • 9

    September

    ・敬老祝福礼拝

  • 10

    October

    ・カフェタイム礼拝

  • 11

    November

    ・子ども祝福礼拝
    ・クリスマス飾り付け

  • 12

    December

    ・子どもクリスマス
    ・クリスマス礼拝
    ・年末感謝礼拝

教会の人々の声

I姉

私は18歳で洗礼を受けた。しかし20歳からの数年間放蕩三昧であった。教会にも行かず遊び回り、飲めや歌えの毎日であった。特に23歳からの2年間は仕事もしないでプラプラしていた。でも両親は何も言わずに家に置いてくれていた。1度だけ家出をした。横浜に行くはずが新横浜で電車を乗りかえたら八王子に着いてしまった。主人とはそんな頃に出会って結婚した。クリスチャンである事は話してなかった。でも主人と結婚して住み始めた市営住宅で後に大親友となるD姉妹と出会い再び教会へと導かれた。もしあの時放蕩していなければ主人と出会わなかっただろう。もしそうならD姉妹とも出会わなかっただろう。神様はホントに不思議で感謝なお方だ。失敗すらもちゃんと益になるように導いて下さるのだ。こんなに愛されて私は世界一幸せ者である。

K姉

私は、月に一回ぐらいのペースで、週末に養老の実家へ行っています。八十歳になる母と次男が一緒に住んでいるのですが、庭仕事や家事の手伝いになればと通っています。しかし、先日ガレージの階段を踏み外し、足をねん挫し、わき腹を強く打ってしまいました。歩くのも痛くて大変で、当たり前に出来ていた事が出来ない状態に愕然としました。手伝いのために来ているのに、何も出来ないもどかしさ・・・。その時、今まで出来ていた事は、神様の恵みだったんだと気付かされました。幸い、痛みも日に日に良くなってきました。お祈りをして頂いた方、ありがとうございます。日々、イエス様を信じていない家族や、近所、職場の中で、クリスチャンとしての言動が試されているようで、落ち込む時がありますが、「歌いつつ歩まん」の聖歌にあるように、歩めたらと願っています。

S姉

20代の頃、当時所属していた教会(ブラザレン)からアメリカのクリスチャンカンファレンスに参加した時のこと。大きな会場で数百人が一斉に賛美歌を合唱した時、言葉は英語でも同じイエス・キリストを信じているという一体感を味わいました。その時、奏楽は一台のグランドピアノだけでした。奏楽者は白髪の年配女性で、とてもダイナミックにピアノを弾いていて感動しました。賛美歌をこんな風に弾いても良いんだ!と何か新しいものを見た気がしました。偶然にも私のステイ先がその女性宅で、彼女の家にはピアノはなく、小さな古いオルガンでフンガフンガと練習していたのです。カンファレンスの時とのギャップに驚きましたが、地味に練習されていたことがわかりました。若い頃フィリピンで宣教師をされていたそうでアジア人の私を快く迎え入れてくれました。時々、彼女のオルガンを弾く背中を思い出します。私はピアノを上手く弾けないので練習をサボりがちです。でも、彼女のようにいくつになっても神さまのご用に役立つ者でありたいと願っています。

Y兄

あっと言う間の一年が過ぎました。「俺、これからどうして生きて行けば良いんだろ!」 兄姉からの暖かい慰めの言葉本当に感謝でした。毎日神様に祈ると言うよりは、文句ばっかり言っていました。大阪に来てからも色んな人達との出会いがあり、これもまた主からの慰め?神様から与えられている時間の中、いつの間にか文句の祈りが感謝の祈りへと変わっていました。26歳でイエス様を信じて薄っぺらな本当に生温い信仰生活でしたが神様の恵みの故に教会から離れる事なく今日に至ります。助け手(妻)そして2人の息子が与えられ貧乏育ちの私には世間並みに、いやそれ以上に幸せでした。妻は精神的に弱い人でしたが神様に頼り、私の様な者に黙って従い、着いて来てくれました。そして家族のために毎日祈りをもってサポートしてくれました。私も見習って毎日早起きして2人で子供達や親族、友人のために祈る事が出来ました。この一年、神様との交わりの時(祈り)が改めてどんなに恵みの時大切であるかを教えていただきました。神様は、聖書を通してまた祈りを通して思いの中に語ってくれるんだ。神様に感謝して祈る時、こんなに平安が来ると改めて知りました。今、この歳になって妻が毎日、喜んで神様とのディボーションをもっていたことが分かります。私もそうだからです。